朝からバイトしてると一日が早い、それが七日あれば一週間が早い、それが四週間あれば一ヶ月が早い。ならば、これが「仕事」にグレードアップしたらどうなるのか・・・、ある種の畏怖を抱かずにはいられない。おはこんばんちは皆様、あーべるとでございます。以下は見直したら結構長かったので、のんびりできるときにお読みくださいませ。 東方シリーズ人気投票に、私も投票しておきました。総投票数はキャラ部門12220票、音楽部門10787票だそうです。母集団の数としては申し分ないですね。結果が発表されていますので、まずは上位三名を見てみましょう。ちなみに私が投票したのは、魔理沙、靈夢、パチェ、萃香、紫です。 一位 博麗靈夢 二位 霧雨魔理沙 三位 射命丸文
主人公二人がワンツーフィニッシュ。空を飛ぶ楽園の素敵な巫女、博麗靈夢。弾幕はパワーで押し切る普通の魔法使い霧雨魔理沙。魔理沙一位に一歩及ばず・・・。お茶を飲んでのんびりしている靈夢のところへ、箒に乗った魔理沙がやってきて、面倒ごとに巻き込まれる。やっぱりそんなイメージがあります。二次創作の読みすぎだといったやつちょっと表へ出ろ。ところでアリマリは私のジャスティスだ、異論は認める。 前回は八位の文が大きく順位をあげたようです。天狗で新聞記者の射命丸文。風神録で再登場したからまた人気でたのかなと推測。新しい曲まで用意されてましたしねえ。 続けて四位から十位まで。 四位 十六夜咲夜 五位 レミリア・スカーレット 六位 西行寺幽々子 七位 八雲紫 八位 アリス・マーガトロイド 九位 藤原妹紅 十位 フランドール・スカーレット
後半ボスにラスボスにEXボスまできて、順当といったところでしょか。でも正直妹紅が入ってるのは意外・・・。前回十八ってなってるのに、なんで急に上がったんでしょう。 それにしても紅魔館組強いですなぁ。旧作除いたら最も古いのに。夜を支配する正当なる吸血鬼に、仕えるのは人間でありながら時を操るメイド、全てを壊せる上に気がふれた妹に、友人には知識の権化たる魔女、そのうえ役に立たない門番。集まった面子が最も個性的ってのはあるかもしれませんね。 次は音楽部門。ここは一気に五位まで見てみましょう。 一位 U.N.オーエンは彼女なのか? 二位 幽雅に咲かせ、墨染の桜 〜 Border of Life 三位 ネクロファンタジア 四位 亡き王女の為のセプテット 五位 ネイティブフェイス
一位はフランドールのテーマ、U.Mオーエンは彼女なのか? 二位は幽々子のテーマ、幽雅に咲かせ、墨染の桜。幽雅に咲かせ、墨染の桜は前回前々回とも一位だったみたいですから、大変動ってことになるのでしょうか。というかオーエンが人気でたのってニコニコのせいじゃ・・・。ま、言わぬが花という言葉もありますし。 ネクロファンタジアは、八雲紫のテーマ。亡き王女のためのセプテットはレミリアのテーマ。ネイティブフェイスは洩矢諏訪子のテーマです。人気が高いキャラのテーマは同じように愛されてるって感じですね。諏訪子は風神録で初登場ですが、健闘したってことになるのでしょうか。ちなみにネイティブフェイスは人には弾けない跳躍や階段を伴うピアノパートがある曲ですな。いわゆる、発狂ピアノってやつで。東方の曲には多いですよね。 六位以下もひっぱってみます。 六位 風神少女 七位 幽霊楽団 〜 Phantom Ensemble 八位 上海紅茶館 〜 Chinese Tea 九位 月まで届け、不死の煙 十位 恋色マスタースパーク(恋色マジック)
風神少女は文のテーマ。幽霊楽団はプリズムリバー三姉妹のテーマ。上海紅茶間は美鈴ステージの道中曲。月まで届け、不死の煙は妹紅のテーマ。恋色マスタースパークは魔理沙のテーマです。 上海紅茶間と幽霊楽団はメロディーがとても綺麗だと思うのです。不死の煙は発狂ピアノ部分を魅力に感じるかどうかですね。恋色マスタースパークは疾走感がたまらない感じです。魔理沙らしい。 ちなみに私が投票したのはセプテット、恋色マスタースパーク、風神少女、神々が愛した幻想郷、砕月です。 以前から東方というゲームがあることは知っていましたが、STGはやらないので手を出していませんでした。それが某にこにこできる場所でセプテットとオーエンを聞いたとき、東方ってこんな凄い音楽あるのかと思ったのが東方を深く知るきっかけでした。 セプテットは綺麗な旋律からサビにかけあがる部分がたまらないです。恋色マスタースパークは疾走感がいいと書きましたが、それを生み出す早いテンポと移調が凄いと思います。風神少女はイントロからメロを通ってサビに抜けたときの開放感が空を翔る様子を感じさて好きです。神々が愛した幻想郷は、幻想郷の綺麗な自然のイメージをそのまま落とし込んだようなメロディがたまりません。 砕月は萃夢想の曲で、ZUN氏の作曲ではないですが気に入っています。一番盛り上がるとこに使われるのでずっとサビっぽくなってるとのことですが、それがまさにどんぴしゃ。たしかに後に続く曲とはちょっと雰囲気違いますけど、その切り替えが逆にラスボスに向かう気持ちを奮い立たせるような気がします。 というわけで第五回東方シリーズ人気投票について勝手に語ってみるのコーナーでした。わからない人にはわからないと思うのでできるかぎり説明しようかなと思ったんですけど、それだともっと長く書かなくてはならない・・・。そんなの誰が読むのかと。 昨今私のように音楽をきっかけに東方を知るひとも多いようですので、ついでに書いてみました。 東方ウマウマ祭まとめ 追加しています。 下の記事からどうぞ。
□ JASRACが出版著作の管理に参入 取り上げるのが遅れて申し訳ない。さて非常に由々しき事態です。自らの搾取によって干からびた音楽業界に見切りをつけたジャスラックは、他の著作物、具体的には出版書籍等を新たな餌として見定めたようです。 表現の自由が死ぬどころの話しではありません。これは著作物が彼らのための金の成る木に成り下がることを意味します。著作者に正しき敬意を持つ我々は、断固としてこの不正な搾取を排除しなければなりません。 作品を生み出す人なくしてこの業界は成り立ちません。偉大なクリエイター達が優れた作品を作りだせる環境を持てるように、自らの創作に対して意欲的になれるように。私の願いはただそれだけなのですから。 まずは知ること。次に賢くなること。そして立ち上がること。また、私に何かできることがあれば教えてください。出版社は目先の利益だけにとらわれず、長期的なロードマップに基づいて判断して欲しいものです。
一言でオタクといってもその「属性」は千差万別。アニオタあり、軍オタあり、マンガ読みあり、ラノベリストあり、アイドル追っかけあり、ゲーマーあり。誰もが私はこの分野が一番好きと思うところがあるはずです。 私の属性は「ゲーム」でしょうか。オフゲもネトゲもエロゲも全てひっくるめて一番費やす時間が多い気がします。そのようにして自分の属性についてしっかり認識を持ったならば、その人生における優先順位も自ずと明らかになってくることでしょう。 数多くある娯楽のうちの一つとそれを捉えるか、趣味の全てはそれだと言い切るか、人生そのものをそれに捧げるか。その人の考え方の数だけその選択肢は増えると思います。 しかし一番大事なのはその自分で選んだ選択に最大限の自信と最小限の常識を持つことでありましょう。また、他人の選択肢にとやかく口を出さないこと、これも大事かと思われます。 すなわち、真のオタクとは世間一般に言われる「優秀な人間」とその精神の根源を一にするのです。誇り高くあり、寛容さを有し、自己の道を突き進むための犠牲は厭わない。 よってここに明らかな真理が現れてきます オタクとは本来自己の存在に誇り高くあるべきものである。また実際にその可能性は自己再帰的にオタク精神に含まれている。 Blogranking参加中 クリックでランクアップ
6500万年前と聞いてすぐピンと来る人は少ないでしょうか。ですがこう言えばわかるはずです。恐竜が絶滅した時期である、と。 この恐竜絶滅は地層の名前をとってK/T境界事件と呼ばれています。原因ははっきりとしていませんでしたが、最近になって隕石の衝突による環境の急激な変化が原因であることがわかりました。 ただし、恐竜というある意味特異な生物のあり様に目を奪われがちですが、実際に絶滅したのは大型の爬虫類とアンモナイト等であり、その規模自体はこの世の終わりというほどには大きくないのです。 恐竜絶滅よりもはるかに大きい規模を持っていた、それがP/T境界における大量絶滅です。 約2億5000万年前と考えられ、その規模はK/T境界時よりもはるかに大きく、海洋生物の90%以上が死滅したと言われています。 その原因は実はわかっていませんでした。地殻変動による火山活動の活発化などが推測されていました。 しかし、今日。 南極に巨大クレーター、海洋生物9割絶滅の隕石跡? 南極に巨大なクレーターが発見されたというのです。ユカタン半島にあるK/T境界の傷跡よりもはるかに大きく、これによりP/T境界における大量絶滅の原因として巨大隕石の衝突による環境変動が有力になります。 はたして、科学史に新たなる1ページを刻む発見となるのでしょうか。 wikiの関連項目も参考にどうぞ ■ K-T境界■ P-T境界 K/T境界に関しては私の過去のとある記事でも微妙に触れています ■ 4/22 東京大学理学部第9回公開講演会 簡易まとめ
・ 社会人なら知っておきたい! 株式オンライントレードの基礎 実際投資するかしないかは別としてこういった知識をもっていてもいいと思います ・ PS3は"ゲーム機"ではなくコンピュータとして訴求されるべきである ゲーム機としては高いが、デジタル家電としてみるなら安い。主流はそういう捉え方のようです ・ 主観視点RPGの最新作が4年9カ月ぶりに登場! 『KING’S FIELD ADDITIONAL I』 やったぜ! キングスフィールドの最新作だ! > PSP用ソフト も、もってねぇ・・・orz ・ 「ハレ晴レユカイ」DAMで配信決定! ちょ、歌いにいくしかねEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE ・ 萌えるオタクがガレキを買わないワケ・ 漫画かいてみたお 普通におもしろいから困る
私は文学を学ばなければならぬ身なのですが、文学に懐疑的なのです。 文学なんてお高くとまっているだけだと感じます。本や雑誌はエンターテイメントであれと信じているからです。 ですが、歴史的に見て本とジャーナリズム、各種思想、社会風刺などとは切り離せない関係にありました。それを考えると本はエンタメであれという私の願いはある種贅沢なものだと言えるでしょう。 そこで逆に考えて見ましょう。本は楽しむものであれと考えうる時代がやってきたのだと。 そして喜びましょう。そのような幸せな時代に生まれてこれたことを。 無意味な記号の羅列である言語に知性を託し、理性を埋め込み、叡智を内包させる。人にしかできないことなればこそ、これが人である証。 積み重ねた知識は語り継がれ、創造された発見は新たなる時代を為す。流れる意思を繋ぎ止め、溢れる才覚を表現する。その際たる手段こそまさに本であると信じます。 誇大妄想の感があるのが否めません
・ 月姫・東方・ひぐらしに並びうる同人ゲームは既に公開されている 以下は記事の内容とは直接的には関係ないのですが、最近考えていることを刺激されたのでまとめてみます。 同人ゲームというのは好きだから作るっていうコンセプトに加え、小数で動くわけですから商業ベースよりいい作品が生まれる可能性を十二分に含んでるわけです。それこそロングテールの市場を刺激する未来もありえます。 同人→商業の流れが今一つのストリームとしてありますけれど、商業ベースに上がったら逆にうまくいかなくなってしまうこともありえると思うのです。 しかし売れてしまった以上細々とやることはできませんから、そこにディレンマが生まれるともいえるでしょう。あの頃はできたのに今はもうできない、と。 私はキャラクターコンテンツ(以下CC)産業がエンターテイメント業界において主流となる未来を信じています。あらゆるエンターテイメントは究極的にそこに収縮するかもしれません。 これは不自然なことではありえません。それはCCは「人」のポジティブな部分を抽出して記号化して消費するものだからです。 CCは人が人として生きる限り避けられない感情や思考などそれら全てを巻き込んで、良いものだ楽しいものだと捉え直させる一面があると思うのです。 この流れが今後さらに加速するようになるならば、エンターテイメント業界におけるパラダイムにCC産業が躍り出ることもありえなくはないと考えます。
ローゼンメイデンのDVD第三巻を今更回収したのです。見ているうちに気が付いたのですが、私はストーリーを追っていない。キャラの一挙一動のほうにより注目がいっているのです。私の中でストーリー<キャラの現象が起きているわけです。 私はそれに近い概念が存在することに気がつきました。すなわち、シスタープリンセスです。 そもそもシスプリはストーリーはあってなきようなもの。12人の妹との日常を描くコンセプトのはずだからです。 そしてシスプリはオタク市場における強大な市場を担っていることは、皆様体感で理解していることでしょう。シスプリの本展開は終わって久しいですが、いまだに力を持ったコンテンツであることは否定できない事実です。 ローゼンもそうなる時代がくるのか否か、双方の違いを検討しつつ簡単に考察したいと思います。 ・脳内妹と脳内ドール まずシスプリのロングランコンテンツ化における最大の要因はお兄ちゃん達がそれぞれ自分なりのmy sisterを心に決めていることにあります。行為だけを端的に表して脳内妹と呼べるかもしれません。シスプリというコンテンツに触れたとき誰もがまず自分の妹はこれだ、と考えるはずです。その際には咲也が一番だとか、いや可憐だろいった会話が盛り上がることになるでしょう。あるいは二、三人と同時に兄妹になりたいと思うかもしれません。こうすることでシスプリ作品と自分という関係がよりダイレクトにつながることになります。 ではローゼンではどうか。それぞれのマスターが自分なりにmy dollを決めることになるでしょう。これも先の例に従って脳内ドールと呼ぶことにしましょう。その際には真紅様に叱られたいとか、蒼星石は俺の嫁といった話題が生じるようになります。ここでもまた作品と自分がより密接につながりやすくなります。 ・オリジナルキャラと脳内キャラの乖離 この状態でコンテンツを消費していると次に起こることがあります。元々のオリジナルキャラと自分で考えているキャラに違いが生まれてくるということです。一例を出しますと、咲也は積極的にお兄様にアタックします。しかし、逆に引き気味の咲也も可愛いのではないか、とか。可憐は素直にお兄ちゃんに気持ちを伝えたく思っている。しかし、もし素直な部分以外の気持ちも隠し持っていたとしたら、とか。うまく表現できていないのですが、原作は○○だけど、もっと××だったらいいよなぁ、と考えるのがその状態なのだと考えます。 ローゼンでも見てみましょう。気高くあるツンとした真紅がとても美しいと思う。でも俺の真紅はもっと素直なんだぜ、とか。翠星石は素直になれないのが可愛いと思う。でも俺の翠星石は俺の前だけではデレデレなんだぜ、とか。水銀燈に踏まれながら罵られたいと思ってる。でも俺なら逆に水銀燈にいじわるしたい、とか。そういうことを考える状態です。 こうなるとその作品はその人の中でずいぶん影響力を持つようになります。全く自分の作品を見ていても、このキャラは咲也に似てるなぁとか、真紅っぽいところがあるなぁとか考えるようになるのです。これこそがその作品が長期的に受け入れられるようになるのに必要なファクターでありましょう。 ・同人活動においてキラーコンテンツとなる 同人作品が多く出されるのもロングランの一端となりえます。同人の基本は自分の好きなものに対する思い入れを他の人にも見てもらうというところだからです。ただし、多大な影響力を持つ大手サークルはこの限りではないのかもしれません。シスプリは今でも同人作品がだされているところからもその人気がうかがえます。またオンリーイベントやキャラオンリーといった即売会が数多く開催されることも人気の一つの指標になります。 ・絵師様達の活躍 上記のトピックと関連してこれもあります。本は出さないけどイラストは書くというかたも多くいるはずだからです。またイラストを書くからにはその作品に多少なりとも興味を持っている証拠でもあります。 こうして考えてみるとローゼンメイデンがオタク界におけるキラーコンテンツとなる可能性はまったくないわけではないということがわかります。ただし、ローゼンはまだ歩きだしてから日が浅く、どう転ぶかはまだわかりません。さらに、決定的に足りないものがあります。 ・商業ベースおけるメディアミックス 我々オタクの本質は消費し続けることにあります。その点から言えば大量生産大量消費での商業ベースにおけるコンテンツ運用が欠かせません。かつてシスプリは小説、マンガ、ゲーム、アニメ、ラジオと多彩なメディアミックス展開を見せました。このことがさらにコンテンツ享受者の拡大を生み出したといえます。 ローゼンはまだこれがない。原作のマンガ、そこから生まれたアニメ、近いうちにはゲームの発売も控えています。しかし、まだパワーが足りない感が否めません。もし流行したとしてもそれは局地的なもので終わってしまうでしょう。そうなればローゼンという作品は数多くある過去の作品の一つとして埋もれてしまうかもしれないのです。それはそれでいいのかもしれないのですがね。しかし、それではもったいないという気持ち同時にもあるのです。 ・オタクコミニティにおける共通言語化 あるいはオタクならこれは知っていてもいいよね、という標準化された感覚ですね。エヴァとかシスプリとかCCさくらとかガンダムとかそういうものです。これにローゼンが加わる日はくるのでしょうか。 色々と書きましたが、要はローゼンが長く楽しめるようになれればいいよね、ということが言いたいだけだったりします。 なんだかんだ言って私はローゼンメイデンが好きです。 真紅、雛苺、翠星石、蒼星石、水銀燈、金糸雀、薔薇水晶、全てのドールズにどうか幸いあらんことを・・・。
この憎しみの目と心と引き金をひく指しか持たぬもの達の世界で 何を信じる! 何故信じる? 他者より先へ、他者より前へ、他者より上へ。 競い、妬み、憎んで、その身を喰い合う! (by某クローンの将校 あなたは神を信じますか? 信じない方は自分を信じられますか? 信じる方は自分を信じられませんか? 人は何かを支えにしなければ生きられませんか? Cogito, ergo sumを唯一の真理とはできませんか? 劣化のクローンとして作られこの全てを憎んだ者がいました。 この世全ての悪を背負わされ、それでも世界を憎なかった者がいました。 人が己に課したルールはただ一つ「私に迷惑かけるな」。それぞれが自ら知らぬうちに心の中にそう刻んでいます。 この世の常識、法律、義務、全てはそれを遂行するためのツールです。 人はそんなにもエゴイズムに溢れた存在だというのに、それに気がつきもしません。 奪うことでしか生きられず、妬むことでしか向上しない。 増えすぎた人は種の存続しか考えられない。 存在することが罪の生き物。それが人。 神を信じる人間は信仰が贖罪になります。 ならば信じられない人間は? ましてや自分自身さえ信じていない存在はどうすれば? 死ぬことが懺悔になる? 死を恐怖していてそれもできないのなら? そのこと自体さえ罪を生む? 答えは見つからないでしょう。生きるために生きている人間にはそれを疑問に思うことさえないでしょう。 howに答えるのは科学の役割。whyに答えるのは哲学の役割。 何故人は生まれたの? この答えは人の脳内でしか出せません。 その答えがあったとして、それを享受するのもまた人の脳。 養老 孟司氏の唯脳論。これ自体は解剖学的見地からですが、哲学的に見ても真理に近いかもしれません。 全てが人のロゴスより生ずるものだとしたら、それだけが唯一の真実となりえます。 だからこそ、せめて自分は信じてあげましょう。今ここにある自分は、この世唯一の存在であると認識しましょう。 それ自体に価値はないでしょう。しかしながら、その思考が思考の主体に対してアイデンティティを与えるでしょう。 そうすれば、 この憎しみの目と心と引き金をひく指しか持たぬもの達の世界でさえ生きていくことができるかもしれません。 ※徒然に浮かんだ思考の断片をそのまま言語に変換したものです。よって、一切の質問、疑問、苦情に対して真っ当な反応ができない恐れがあります。それらを行う際はご了承ください。
萌える男 読みました。 というわけで感想&意見などを。 11/28追記
まず「オタクとは恋愛資本主義システムに取り込まれなかった人々である」という意見には同意です。 現在、資本主義社会における流通物として「恋愛」が商品化され、恋愛を楽しむのが人生だというような思想が刷り込まれています。そこではモテるための商品に投資しないオタク達は排除されるべき存在です。そんな真実を踏まえた定義に私も賛成です。 ただ、萌えの心理的機能と社会的機能については拡大解釈の印象を受けました。 今まであった価値観(特に恋愛資本主義のこと)でできなかった自己のトラウマの克服やルサンチマンの昇華のために萌えは機能している、という心理的機能。 すでに瓦解し始めている恋愛資本主義に代替しうるシステムを提案するための思考実験の場として萌えは機能している、という社会的機能。 これらはオーバーな理解なのではないかとも思いました。しかし、私にはこれらを否定するだけの論拠はありませんから、こいうこともあるかもしれないとも思っています。 心理的機能の部分を拡大解釈と感じたのは、この点が過度の一般化になってしまってはいないかということです。確かにトラウマやルサンチマンを解消するための手段として萌えを欲した人もいるでしょう、しかしただ面白い楽しい心地よいから萌えている人もいると思うのです。三次元の女性の恋人がいたり、結婚していてもオタク趣味を続けてる方は大勢いらっしゃいます。 そして、このことは萌えることが一部の人間だけの特殊な趣味となるのではなく、この世に数多存在する娯楽の中から萌えることを選ぶということが何もおかしくない社会が訪れる可能性を秘めています。
あとで気がついたのですが、良くも悪くも恋愛資本主義にとらわれすぎだとも思います。昨今のマスコミがそうさせないのはわかりますが、どうせ一瞬の波ですので引くまで待ってるのが一番なのではないかと。 萌えは今は失われた純愛を求めているという点も大方賛成です。私自身が萌えは「手に入らないものを求め続けること」だと言ったのもそのあたりに関係するのかもしれません。 つまり、新しい言葉でいえば萌えとは「愛のイデアを探し続ける行為」だと言えるでしょう。 <関連記事> ・ 10/4 恋と愛と萌え
何を隠そう私はエロゲーを嗜む人です。昨今の社会においてはエロゲーは青少年に悪影響を与えるというのが大方共通した意見なっています。 もちろん、エロゲーをやった人間が自分も同じことをやってみたいと考え犯罪を起こすのも決してないわけではありません。しかし、それはアクション映画を見た人が自分もやってみたいと思って銃を振り回してしまうのと大差ないレベルの問題です。 この「〜〜の影響を受けて」というコンテクストは今の社会ではエロゲー以外にも十二分にあてはまり、これだけでエロゲー自体を悪と決め付けるのは短絡的すぎるでしょう。 私はエロゲーやエロマンガというものは真の意味で大人である人にしか楽しめないものだと思います。現実をしっかり生きてこそエロゲーを楽しむ余裕が生まれます。確固たる自意識を持った人間こそエロゲーを単なるファンタジーとして楽しめるはずです。 そういう自負があるならば、秋の夜長にエロゲーをプレイしてみるのもいいかもしれません。夜になれば酒を傾けつつエロゲーを楽しむ、そんな洒落たことができる大人になりたいものです。
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