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10/10 望むが故に遠し

「願わくは花のもとにて春死なん その如月の望月の頃」
 西行は詠います

「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」
 長明は記します

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」
 芭蕉は言います

「可愛い子には旅をさせろ」
 先人は語ります


 日本人とは平安の頃から旅と言うものに特別の思いをもっていました。それはおそらく現代になっても変わらずに私達の中に否定できないものとして積もっています。むしろ、現代人の方が日常への脱却ということに関してはより強い思いをもっているかもしれません。
 大きな変化など起こりうるはずのない日常のなかで、あるときは花をみて和み、あるときは若葉に心躍らせ、またあるときは月に思いを馳せる。そのように自然に対して無防備に心を移すのが日本人の潜在的な部分として残っているのであります。

 
 そんな日常からの脱却と自然への帰属という望みを同時に満たしてくれるものこそ「旅」という行為に他なりません。日ごろ住み慣れた街を離れ遠くまで足を伸ばす。その地で初めて見るもの・初めて聞くこと・初めて行うこと数多訪れるその経験がその人をさらに成長させてくれるのです。

 ですが、遠出することだけが旅というわけではないのもまた事実です。普段降りる駅の一つ先まで行ってみる。普段はは通らない道を通ってみる。普段はつけない語尾をつけてみる。ブルマではしゃいでいるかもしれない少女を見に小学校を通りがかってみる。スクール水着で戯れているかもしれない少女を見にプールへ行ってみる。そういったことも、一つの旅と呼べるのではないでしょうか。

 旅は人を成長させるものです。過去の人たちもそれに気がついていました。だからこそ、先のような言葉が残っているのでしょう。人としてさらなる成長をとげるため私も旅をしてみたいものです。

 ということを考えていたら結局一日引き篭もっていた、そんなある秋の一日

 

 
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