とうとう聖杯の前で最後の勝負と相成ったわけですが。改めて思うと色々はしょってるのがだんだん響いてきてるのかなとか思ってしまいます。これはセイバーtrueエンドを想定してればいいのでしょうか。
「第二十三話 聖杯」
「ごめん、私イリヤを守れなかった」
ぎゃー、凛様がぁぁぁ! そして見覚えのある一枚絵に関心した。原作の原画を参考にしてシーンを決めているのだろうか、まあそうとしか思えないほど同じだが
「綺礼の目的はイリヤよ、多分最初から聖杯の器にするつもりだったんでしょうね」
イリヤを聖杯の核にして聖杯を召喚しるのが言峰の目的というわけで。アインツベルンの秘儀が魂の定着なんだっけ、確か第五魔法? しまったうろ覚え。とりあえずイリヤは聖杯になるために作られたってのだけは覚えてる。
「綺礼は龍洞時にいると思う」
ラスボスの居場所も判明。ダンジョンはないのであしからず。
「あなたじゃ綺礼には叶わない、それでも戦う?」
負けるのはわかっているのにそれでも戦うのか。起きうる被害を止めるために。士郎なら迷わず行くよな。それが士郎という人間の本質なのだから。それっぽく言うと士郎の起源は"救う"ってところかね。
それにしてもかなりの出血で瀕死の凛にここで長台詞はどうかと。しゃべる前に応急処置をするカットを入れてもよかったと思うんだ
「人は殺されれば死ぬ、それがあたりまえなんだ」
殺されても死なない人間がいるならそれは人間じゃないと思うわけだが。死ぬときはちゃんと人間として死にたいものだ。
「望みなどないと言っただろ、我の関心はおまえだけだ」
聖杯とかはどうでもよくて、とにかくセイバーを自分の物にしたい我様。ある意味こいつが一番戦う動機がわかりいやすいと思ったり
「しいて言えば、娯楽だよ」
「人間は死の瞬間にこそ価値がある」
「お前達が平穏が糧にするように、この身は星の光をを糧に生きている」
言峰が何をしたいのかっていうのは結構難しいところ。原作でもかなり長々としゃべったしな。多分このシーンだけじゃわからなそう。
言峰は美しいものを美しいと思えないって人間だことが出発点なんだっけか、故に人の死に強く惹きつけられたのかと。燃え尽きる前に一瞬強く光るろうそくの炎が美しい理論かね。破滅をこそ最も美しいと感じるタイプ
「故に命を懸けろ、あるいはこの身に届くやもしれん」
ある意味士郎に滅ぼされたがってるとも言える。
「歪な形ではあるが、私ほど人間を愛している人間はいまい」
人の汚れた部分を愛しちゃってやまない困った神父だ。しかも自ら進んで人の負の部分を暴こうとするしな。
「アンリマユ、この世全ての悪を受けるがいい」
聖杯の中身は莫大な魔力、魔力それ自体は何の志向性がないエネルギーなわけだ。願望機と呼ばれる所以やね。だがなぜかその中身が悪そのものである人に害を為す意思で染まってしまったというのだからさぁ大変。聖杯の中身は触れる人間を汚し犯し滅ぼす極大の呪いになってしまいましたとさ。
言峰がそれに触れられるのはそれをこそまさに美しいと感じる人間だから
「あの程度の呪いを飲み干せなくて何が英雄か。この世全ての悪? 我を染めたければその三倍はもってこい! 英雄とはなおのが視界に入る全ての物を背負うもの、この世の全てなどとうに背負っているわ!」
正直この台詞を見たときは我様めっちゃかっこいいと思った。さすが英雄の中の英雄さ。人を殺すほどのの悪意や害意さえ飲み干して飼い殺せるというのだかららね。
「そんなことだからアーサー王、おまえは国に滅ぼされたのだ」
「だが英雄王、そんなことだから貴様は国を滅ぼしたのだ」
この反意は結構綺麗かと思ったんだがどうだろう。我侭な王様と堅牢な王様。結局どちらも悪いところが広がってダメになってしまうわけだが。
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レビュー・評価:Fate/stay night/第23話「聖杯」
品質評価 29 / 萌え評価 22 / 燃え評価 12 / ギャグ評価 18 / シリアス評価 62 / お色気評価 25 / 総合評価 38レビュー数 108 件 第23話「聖杯」についてのレビューです。
[2007/08/30 20:40]
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